田中延子コラム

語学留学つれづれ 1.メルボルンについて

1月27日~3月17日まで、語学留学をしており、今年で4年目になりました。1年目はニュージーランドのクライストチャーチ、2年目はカナダのバンクーバー、3年目はマルタ共和国、そして今年はオーストラリアのメルボルンです。このため、「英語はペラペラですね?」と聞かれますが、残念なことに、覚えては忘れの繰り返しで、英語のスキルは極めて緩やかにアップしている状況です。

しかし、語学力はともかくとして、4年前の自分を振り返ってみると、外国で暮らす度胸や諸外国の人々への接し方、国民性等に関する理解などは、確実に変化してきていると自負しています。

昨年は、3年目の成果を検証するため、ローマ、ナポリ、ポンペイを一週間一人旅しました。そこで得たものは、「人間は、何歳になってもチャレンジをやめない限り成長する!!」という確信です。このことは、私にとって何より嬉しいことでした。

 

さて、メルボルン市は人口13万人の都市ですが、メルボルン都市区は452万人とシドニーに次ぐオーストラリア2番目の大都市です。街は碁盤の目に区画されており、トラムやバスが縦横に走り、世界で最も住みやすい都市と言われています。今は夏ですが、昨日35℃だったのに、今日は20℃と寒暖の差が激しく、最初は戸惑いましたが、考えようによっては、暑い日が続くより、涼しい日に一息つけるので、過ごしやすいとも言えます。難を言うと、物価が高く、ペットボトル500mlの水が2.5豪$(240円)、ジュースは、4.5豪$(430円)もします。交通に係る費用も高く、私は、毎日トラムで通学していますが、往復、約800円支払っています。

簡単にオーストラリアとメルボルンの歴史を紹介しますと、1770年4月29日にエンデバー号に乗ったキャップテンクックがオーストラリアに上陸、1785年に英政府はニューサウスウエールズ植民地(NSW) と名づけ、1788年1月26日初代総督アーサー・フィリップが流刑囚780人、海兵隊及びその家族1,200人を率いて上陸させたということで、1月26日はAustralia Day(建国記念日)として祝日になっています。1901年にオーストラリア連邦が成立し、1927年に首都がキャンベラに移転されるまでは、メルボルンが臨時首都だったことから、通りの名前や公園に英国の王族の名前がついていたり、建物が英国風であったりするなど、今なおヨーロッパの雰囲気が残されています。

メルボルンの人口が急速に拡大し、世界有数の都市になったのは、1851年にNSWで金が見つかったのがきっかけで、ゴールドラッシュが始まり、当時40万人だった人口が10年で115万に膨れ上がったという

ことです。その名残でしょうか、メルボルンは、銀行の街と言っても良いくらい、大銀行が多数あります。市民の身なりはセンスが良く、スマートでレベルの高さを感じます。特にPolite(礼儀正しい)の精神が行き渡っており、東京の地下鉄では、老人が立っている傍らで眠ったふりをして座っている人々を見かけますが、メルボルンでは、このような光景は全く、見られません。

どのような教育がされているのかと思っていましたが、今日、トラムに15人くらいの中学生と身なりのしっかりした男の先生が乗ってきました。先生は終始立ったまま、席が空いているときは「君、そこに座りなさい。」、高齢の方が乗ってくると即座に「席を替わりなさい。」と毅然とした態度で指導していました。日常的にこのような指導がされているのでしょう、文句を言ったり、指導に従わなかったりする生徒が一人もいないことにも感心しました。