田中延子コラム

フィジー語学留学つれづれNo5  

皆さん、お元気ですか?

新型コロナの影響で、帰国が2週間も延び、帰国できるのか出来ないのか綱渡り状態でしたが、4月3日(金)にやっと帰国することができました。

世界各地でどんどん感染者が増え、空港閉鎖やトランジットまで禁止となるなど、全く大変な状況になりました。

東京では連日、100人単位で感染者が拡大し、緊急事態宣言が出されるか否かという状況。これは帰国できなくなるのではないかと、ずいぶん心配しました。

こんな状況に遭遇することは滅多にないので、経緯を書いておきたいと思います。

1 滞在一週間延長

18日にグッバイディナーも終わり、日本では入手できないと聞いたトイレットペーパーを20ロール購入し、スーツケースに収めた翌朝19日6時、まだ、ベッドの中でした。Kenさんからチャットで「ご存知だと思いますが、21日の成田便が欠航します。」「あらら、気の毒に。私は20日の便だから関係ないけど。一日ズレたら大変だった。」とほっとしたのも束の間、「20日の間違いでした。」と。「ええー帰れない!」23日に仕事の予定が入っているので、先ずは連絡をしなくてはと飛び起きました。

スーツケースに詰めたフィジーのトイレットペーパー

次に、ホームステイも私の後に21日からNew studentが入る予定になっていますから、ホテルかフラットに移動する必要があります。6時半にTheresaが起きて来たので、「かくかくしかじかで、私はホテルかフラットに引っ越すから。」と言うと「飛行機が飛ばなければ、New studentも来ないので、ここに居たら」と。なるほどそう言われてみればそうです。Charlesも「ずーっと居ていいよ」と言ってくれました。ずーっとは困るけど、せっかくだから、このまま延長することにしました。

Schoolに行って事の次第が分かりました。フィジーエアーウエイルズでは、コロナの関係で乗客が減少していたのですが、成田の発着枠確保上、赤字でも運航を続けていたそうです。ところが、世界的にこの制度が緩和されたために、20日と24日の便を減便し、27日を最後に6月まで運休することにしたのです。私の選択肢としては、成田直行便をキャンセルして、オーストラリアかシンガポールを経由して帰国する方法もありました。しかし直行便だと約9時間ですが、乗り継いで帰ると20~50時間かかる場合もあります。しかも新型コロナの影響で刻々状況が変化している中で、トランジット(乗り継ぎ)ができなくなると大変なことになります。確実に帰国するためには焦って右往左往するのは禁物。27日まで待つことにしました。JALやフィジーエアーウエイルズでチケットを購入していれば、自動的に27日に振り替えてくれるそうですが、私は格安チケット比較でスペインの旅行会社から購入したために、自分自身で予約変更しなくてはならず、早速、kenさんがチケットの変更とビザの延長に走ってくれました。他のStudentsやTeachersは「えー延子帰れないの?」と大拍手です。人の不幸を喜ぶなんてヒドイです。

危機意識を持った一部の学生は、私と同じ27日の便を予約しようとしましたが、満席になっており、急遽シンガポール経由で帰国を試みました。しかし、危惧した通り、シンガポールが自国民のみ入国させ、外国人のトランジットを禁止したために、やむを得ず、学校に戻ってきました。

2 学校

Colors English Schoolには、親子で入学してくる人や子どもだけが通学し、親はリゾートに勤しむ、また、レアな例では親がスクールに通い、幼い子どもは地元のkindergarten(幼稚園)に通園と言う例もあります。しかし、人種も異なり言葉の通じない幼稚園に一人だけ放り込まれた子どもは、流石に馴染めず、親御さんもゆっくり英語を学ぶことができない状況になりました。また、小学生は大人びた話をしていたなと思いきや、親に注意されたからと大泣きし、あまりの泣き声に何事が起きたのかとびっくり。やはり、子どもの性格や発達段階をよくよく考えないと、幼い子供の留学は難しいと思いました。

そんな中、中学を卒業して4月から高校生になる可愛いBoy2名が3月18日に入学してきました。二人は親友ですが、一人はハエがいてもキャーッと騒ぐほどの虫嫌い、犬が怖い、泥水や汚い環境も大嫌い、雨に濡れるのは嫌、おまけに寂しがり屋ときています。もう一人は九州男児らしく、それらを笑い飛ばす対照的な二人です。私は「そんなふうでガールフレンドができたときにどうするの?蟻や蠅ごときで、キャーキャー言っていたら、一度で振られるから。」と冷やかしていました。

この二人、せっかくフィジーに来たのに、31日の帰国予定が上述の飛行機の関係で自動的に27日(後に4月3日)に振り替えられ、週末が一度きりになってしまいました。フィジーでは観光客が減ったせいで島に行く船やリゾート地がクローズしてしまい、あらゆるアクティビティが行えなくなっていました。このままでは、何のためにフィジーに来たのか分かりません。そこで、お土産を買いたいと言う彼らを、ナンディの繁華街であるナンディタウンに引率することにしました。当日は大雨のためナンディタウンは停電でしかも大洪水でした。現地の人は気にしている様子はありませんが、ずぶ濡れで悲惨なショッピングになりました。彼らは家族や友だちにキーホルダーや小物など中学生らしいお土産を時間をかけて選んでいました。

窓ガラスのないバスに乗っている二人

3 新型コロナウイルス感染者

フィジーでは、コロナウイルス感染者はいませんでしたが、(というよりも発見されていませんでしたが)19日に隣町のナウトカ町に住むフィジーエアーウエイルズのキャビンアテンダント(男性)が感染していたことが判明し、大パニックになりました。近くのスーパーマーケットに住民が押し寄せて米やトイレットペーパー、水の買いだめが始まり、レジには長蛇の列が出来ていました。(私は前日にトイレットペーパーを買ってあったのでラッキーでした。)

買いだめで大混雑のスーパーマーケット

それが、翌日は、嘘のように買い物客が減り、不思議に思っていたのですが、Kenさん情報によると、彼らが買いだめに使えるお金はせいぜいF$500(27,500円)程度。よって1日しか買いだめができなかったそうなのです。

感染者が一人出ただけで町はロックダウンになり、国中の公立学校や他の語学学校は2週間の休校になりました。そんなに過剰反応しなくてもいいのにと思いましたが、21日にキャビンアテンダントの母親が、23日には姪である赤ん坊が、24日には他の感染者が見つかり、現在は5名になりました。最初の感染者が出た、ナウトカ町には日本人経営の大きな語学学校や日本の高校生を受け入れている高校がありますが、政府は一人たりともこの町から出さない方針を出していました。

連日、コロナの報道が過熱し、バスなどで日本人と中国人の見分けがつかないフィジアンから「コロナ!」と言われる学生も出てきました。

Colors English Schoolも学生同士の接触を避けるため、2メートル席を離したり、Techersもマスクを使用したりして続けていましたが、24日の夜に、突然4月6日までCloseすることになり、25日から、自宅待機になりました。どこもCloseしているし、出かける用事もないので、英語の勉強しかすることはなく、人生初の「退屈」を経験しました。

しかし、27日帰国だから、少しの我慢と思っていたら、26日の夜中に突然運航延期になりました。私が気づいたのは27日の朝です。

4 滞在延長二週間目

運航延期の理由は、ナウトカがロックダウンしており、日本人の学生が出られないこと、日本で中国や韓国、その他一部の外国人の入国を禁止したため、キャンセルが続出し、空席が沢山出来たこと、帰りの便にはフィジー国籍のある者しか乗せないため、席が埋まらないことでした。(飛行機の席が埋まるほど日本にフィジー人がいるとは思えませんが)結局、ナウトカのロックダウンが明ける翌日の4月3日に変更し、日本人学生を乗せて飛ぶことになりました。

こうなったら、本当に3日に飛ぶのかも怪しくなってきました。ホームステイでは、Theresaが「私は2年前に腎臓移植をしているから、感染すると死ぬかもしれない。外に行くときはマスクと手袋をしてね」と暗に出かけてほしくないような口ぶりです。しかし、三食昼寝付きで肥育状態ですし、確実に運動不足になります。そこで長期戦を覚悟して、スクワットと、腹筋、柔軟体操を毎日することにしました。本は英語しか持ってきていなかったのですが、一日中英語もストレスが溜まります。電子翻訳機にラジオ体操と日本文学、世界文学が入っていたので、翌日から、一日のスケジュールにラジオ体操と、読書を加えました。

30日からは夜10時から朝5時まで外出禁止令が出て、警察が取り締まりを始めました。それでも守らない若者が居て、首相が「守らないなら24時間外出禁止令を出してもいいのか。」と怒っていました。

4月1日には、ナウトカのロックダウンが4月7日まで延長となりました。その理由は、5人目の感染者が発見されて2週間後が7日だからと言うことです。と言うことは、またまたナウトカから日本人学生が出られないため、成田便が延期になりそうです。

2日にはスバ(首都)で二人の感染者が出て、3日からロックダウンになることが決まりました。もし、私が住んでいるナンディで感染者が出たら移動できなくなります。いよいよ、危うくなってきました。

日本では感染者が増加しており心配していたら、4月3日から全ての入国者に14日間の待機及び公共交通機関使用禁止(飛行機、列車、バス、タクシー)要請が出ました。仮に3日に飛行機が飛んだ場合、成田からの移動手段を確保する必要があります。知人に依頼することも考えましたが、検疫等で成田を出られるのが何時になるか分かりません。Colors English School代表の多田さんのレンタカーに便乗させていただくことにしました。

5 ゴキブリ退治

2日に「蜘蛛とヤモリは出てきたが、ゴキブリには遭遇しなかったな」と思っていたら、22時頃、私の部屋でブーンと大きな羽音がして何かが飛んできました。白い壁にピタッと止まったのは、足のながぁ~い巨大ゴキブリでした。北海道育ちの私にはゴキブリに対する免疫がなく、超、超、苦手です。真夜中に体の上を歩かれたり、顔の上に落ちてきたりしたら、確実に発狂します。退治せずして眠ることはできません。蠅たたきもないのでにノートを丸めて叩きましたが、素早くて逃げられてしまいました。リビングルームに助けを求めに行きましたが、誰もいません。仕方なく殺虫剤を吹きかけ自力で退治しようと思うのですが、窓かと思えば、天井でなかなか弱らないのです。とうとう物音を聞きつけTheres が起きてきて「延子、何をしてるの?」「コックローチ!!」と指さすと、「噛まないから大丈夫」と言います。「フィジーの蜘蛛もヤモリもゴキブリも噛まないから大丈夫!」と。「知ってますよ、噛まないことぐらい。そんな問題ではないんだって!」と思っていたら騒ぎを聞きつけて、Charlesが来てくれました。Charlesが「噛まなくても気持ち悪いよね」。やっぱり私はCharlesが一番好き・・・と思いました。結局、殺虫剤をかけられたゴキブリの動きがだんだん鈍くなって、つまみ出されました。最後の夜にとんだ大騒ぎになりました。

6 帰国

ゴキブリ騒動で興奮したのか、前回夜中にキャンセルになったのが、トラウマになっているせいか、なかなか眠れず、朝まで、何度もメールをチェックしましたが、「今のところ飛ぶようです。」という日本大使館のメールを最後に当日まで変更のメールがなく、やっと帰国が現実になりそうになってきました。

フィジー国内で感染者が増加傾向になったことと、日本の状況が怪しくなってきたため、フィジー政府が運航を決断したのだと思います。Charles とTheresが空港まで送ってくれました。

空港では、残る学生3人と先生、スタッフが見送りに来てくれて、小さな卒業式をしてくれました。Schoolの存続がかかっているので、彼らも不安だと思います。

3日の20:15に成田空港に到着しました。

検疫を受けて、2週間自宅待機の誓約書等を書き、多田さんのレンタカーで家に着いたのが23:30.なんか夢を見ているみたいでした。

2週間延長になったことで、初めてフィジーの上弦の月や、家の窓からヤサワ諸島の島々が遠くに見えるのを発見したり、Charlesがピザを作ってくれたり、Bread fruit(パンの実)を食べたりと、良い経験はしたけれど、やっぱり日本に帰ることができて嬉しいです。

仲良しになったパン屋の社長 FENDIのTシャツがお気に入り

私と先生たち

フィジーの自宅待機中、学校が退屈をしているであろう私たちのために「幸福」についてZOOMを使ったオンラインMeetingをしてくれました。その中で、幸福な人の条件の一つとして、「自分を助けてくれる人を30人以上持っていること」というのがありました。そんなにいるかなーと数えてみると、すぐ30人以上の顔が浮かんで来ました(本当に助けに来てくれるかどうかは別として)。今回、帰国できなくなった時に、一番うれしかったことは、そんな方々が心配して下さったことです。

今回の留学の成果は、改めて自分が幸福な人間なんだと認識できたことでした。(田中延子)