田中延子コラム

年頭所感~ミャンマー調理員への教育

2025年明けましておめでとうございます。

2024年を振り返ってみると親しかった人との悲しい別れもありましたが、嬉しかった出会いや出来事が沢山ありました。
なかでも一番はミャンマーの特定技能外国人の教育に携わる機会を得たことです。ある時、いつもオフィスに出入りしていた方から、「起業するとしたら、どんな仕事をしたいですか?」と問われました。「新しく仕事をするならグローバルな仕事がしたいですね。例えば学校給食業界は調理員不足が深刻で、今後は外国人労働者に頼らなければならないから、その方たちがきちんと調理員として働けるように教育を担うなど・・・」「それ良いですね。やりましょう!」「では、日本と同じ仏教国のミャンマーにしましょう。」と話はとんとん拍子に纏まり、ミャンマー人を採用して下さる理解ある学校給食委託会社に声を掛けました。

6月24日(月)の深夜に私達は羽田空港を発ち、バンコク経由でミャンマーのヤンゴンに到着しました。外食に従事したい方約2,000人の中から事前に21名に絞り込んでいただき、25~27日にかけ1名ずつ十分な時間をかけて面接しました。
N3~N4レベルの日本語習得者ばかりなので面接は日本語で行いました。
Q:数ある国の中から日本を選んだ理由は何ですか?
A:規律正しく、安全な国だからです。
Q:何年くらい働いていただけますか?
A:10年は働きたいです。
Q:給料は何に遣いますか?
A:半分は家族に送り、半分は自分のために遣いたいです。
なかにはコロナで両親を亡くし、弟と共に日本で永住することを目指して勉強している若者もいて、面接担当全員が涙しました。
日本人に愛されて、日本人の責任者クラスを担うことができる調理員となるよう笑顔の可愛い頭脳明晰な6名を選びました。全員が軍のクーデター後に大学を中退した21~23歳の女性です。

特定技能外国人に対する学校給食教育事業に着手しました

クーデター後、観光施設は閉鎖され、見るところは寺と川しかありません。しかし、一般人が住む地域や市場を見たところ、停電が多いため肉や魚は露店で蠅がたかっている状況で売られています。5S(整理、整頓、清掃、清潔、習慣)は通用しそうもなく、学校給食は行われていないため学校給食をイメージすることも難しいと思われ、教育の必要性を再確認しました。

帰国してからオンラインで週1回90分間、20週に亘り、栄養教諭経験者のスタッフ4名で学校給食の基礎・基本(歴史、法律、衛生管理、栄養管理、調理技術等)を指導しました。日本人に教えるのとは異なり専門的なことをよく噛み砕いて指導しなければならず、指導資料や説明の仕方に工夫が必要でした。10週を過ぎた辺りから彼女たちに笑顔が見られるようになり、質問も積極的になってきました。また、こちらの指導もだんだん厳しくし、予習と復習をしっかりするように求め、時々「このことは○月○日の講義で学びましたね。」と振り返りの質問も加えました。

特定技能外国人(ミャンマー)の皆さんに対する教育をおこなっています 

20回の講義が終了し、12月には座学で得た知識と実際の調理を繋ぐ調理実習を行うために再びヤンゴンを訪れました。研修生は6月の面接では白いシャツに黒いスカートでノーメークだったため幼く見えましたが、今回は化粧もして明るい美人になっており、日本語も随分上達していました。雇用した企業が用意した調理衣を着用して嬉しそうにしていたのが印象的でした。

1日目は白飯、豚汁、魚の照り焼き、もやしとワカメの和え物、牛乳
2日目はチキンカレーライス、コールスローサラダ、フルーツポンチ、牛乳
と学校給食の無いミャンマー人にとって初めての学校給食でした。
1日目は汚染作業区域・非汚染作業区域に分かれ、私たちが用意した作業工程表に従い調理を行ったため、若干ぎこちない動きが見られたものの、2日目は自分たちで作成した作業工程表によって、スムーズに実習が進みました。
ただ、包丁の使い方が日本と異なるため、時間を取って切裁の仕方を指導しました。ピーラーも日本人は上から下に向かって皮を剥きますが、ミャンマー人は下から上に向かって使います。
私「ここで保存食を取ります。何gとりますか?」
実習生「50gです!」
私「どうして50gとるのですか?」
実習生「食中毒が起きた時、5つ程度検査ができるようにです!」
日本の調理員の中でこのように答えられる人が何人いるでしょうか?この時教育の成果を実感しました。
3日目は調理実習の振り返りを行いました。
「調理実習を行って何を感じましたか?」の質問に「日本の学校給食が美味しかったです。」と答えた人が殆どでしたが、一人が「実習を行ったことで、何を行うのかが明確になり、日本で行う仕事に不安が無くなりました。」と答えました。これぞ私が求めていた答えでした。

「家族と離れて日本に行くことは寂しくありませんか?」と聞くと、彼女たちは口々に「寂しくありません。家族とはSNSでつながっています。私たちは日本に行くのが楽しみです。」と答えてくれました。
最終日は奮発して少し高級なランチをご馳走してから、空港に向かうことにしました。笑顔で手を振り合いながら、夢と希望をもって家族のために見知らぬ日本で働く決断をした彼女たちが、日本に幻滅することのないよう誠実にサポートしていきたいと決意を新たにしました。
彼女たちが来日する2月には教育に携わったスタッフ全員で空港に出迎えたいと考えています。
2025年は巳年です。蛇は脱皮を繰り返して成長するそうです。
わが社は今年で10周年を迎えます。会社として成長するとともに社会貢献や国際貢献を行える会社に成長して行きたいと考えています。
皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。