田中延子コラム

フィジー語学留学つれづれNO1

日本の皆様、いかがお過ごしですか?日本では感染経路の分からない新型コロナウイルスの感染が拡がり、ご心配なことと思います。

そんな中、2月18日に成田からFiji Airways21:25の便で英語留学のためフィジーに来ました。「ええーフィジーってどこにあるの?」「英語圏なの?」と言われる方も多いのですが、フィジー共和国はニュージーランドやオーストラリアの近くにあり、1970年に英連邦の国として独立するまで長い間英国の植民地だったため、公用語はフィジー語と英語なのです。なぜ、フィジーを選んだかというと、温かくて明るい、未知の国に来たかったからです。

1 出国からフィジー入国まで

成田では、新型コロナウイルス感染防止のため、航空会社職員が全員マスクを着用しており、Fijiでは14日以内に中国滞在歴のある人は入国禁止(幸い私は約1か月経過していました)日本、香港、シンガポール国民は健康状況を申告するカードを提出しなければなりませんでした。Fiji Airwaysでは、成田からナンディまで直行便が週に3便あり、機内では、夕食と朝食の機内食、日本語の映画もあって退屈することはなく、19日の朝8時(時差が3時間なので、フライト時間は8時間30分)にNadi International Airportに到着しました。

Colors English Schoolのスタッフである憲治郎さんに出迎えられて、学校に連れて行ってもらいました。この学校は日本人の経営なので、Teacherはネイティブですが、学生は殆どが日本人です。ですから語学留学5回目の私にとっては、なかなか居心地が良いのです。若者にはどの国の男もチヤホヤしてくれますが、この年になると気が合うのはTeacherだけです。さらに、諸外国の方々とは、当然、国民性も違うため、それが面白い反面、付き合うにはそれ相当のストレスを覚悟しなければなりません。

しかし、日本人ばかりだと、英語力が身に付かないと思ったので、例年はホームスティとアパートを半々にするのですが、今回はホームスティのみにしました。仮に当たりが悪くても(過去に不運なホームスティ生活を経験)1か月なら我慢できるかなぁーと。

2 フィジーの生活

フィジーの国民は86万人、その内、フィジアンが50%、インド系が38%、残りは他の国の人々です。昔、フィジアンは積極的に働かないので、労働力としてカースト制度の一番下のインド人を移民させたのだそうです。インド人は商魂たくましいので経済発展の機動力になったのですが、フィジアンに差別され、嫌気がさして、多くの人が本国に帰ったのだそうです。

ホームスティするに当たり、フィジーアンかインド系の家庭を選択できると聞いたので、即座に「フィジアン」と答えました。すると、「人種では選べない。例えば辛い食べ物が苦手とかの理由なら良いが」と言われたので、即座に「辛い食べ物は食べられません」と答えました。どうせフィジーに住むならフィジーの文化や国民性を知りたいですからね。

ネット情報では、まだまだ発展途上国であるフィジアン一般家庭には冷蔵庫や洗濯機もなく・・・とあったので、屋根はあるけど壁がない、ゴキブリやヤモリもいるかな・・・などと想像してきたのですが、ホームスティ先のGrey家は設計事務所を経営している夫のCharles(チャールズ)、妻のTheresa(テレサ)は事務、大学生の息子Darryl(ダリル)の3人家族、それにVura(白の意味)という名前の愛犬がいます。因みにフィジアンの挨拶は「Bura(ブラ) !!」です。幸いCharlesは物静かな、愛情深いインテリの男性です。5年ほど前にTheresaが腎臓病を患い、インドの病院で腎臓を一つ妻に移植したのだそうです。更に10年前に娘を亡くしており、不幸を乗り越えて寄り添って暮らしています。Theresaも静かな飾らない性格の人で好感が持てます。私の経験では、最初から良い人ビームを放つ人は、途中で息切れしてしまい、悪い人ビームに変異する場合がありますので、注意が必要です。

CharlesとTheresaが「貴女の英語は、分かりやすくて上手よ」と言ってくれます。勿論お世辞だとは思いますが、5年前に初めてニュージーランドに留学した時のことを思えば、赤面の至りで、日常会話は何とか通じており、少しずつですがスキルアップしていることを嬉しく思っています。

この家には、冷蔵庫や洗濯機、電子レンジがあります。Theresaが無理の出来ない体なので、週に3日ハウスキーパーのNaomiが来て私の部屋の掃除や洗濯をしてくれます。他の学生の家庭では、洗濯機や冷蔵庫がない人もいるので、私はたいへん恵まれていると、ここを選んでくれた学校に感謝しています。

が、しかし、暑い!!フィジーは今が一番暑い季節で最高気温32℃、最低気温26℃くらいなのに、クーラーがなく(学校にはありますが)、自然通風と扇風機が頼みの綱です。おまけに私は紫外線アレルギーがあり、太陽に皮膚を曝すことができません。ビーチに誘われても日焼け止めクリーム、長袖、長ズボン、帽子、日傘と重装備です。最も不向きな国に来てしまったと思いますが、この生活を乗り越えられたら怖いものは何も無くなるかもしれません(笑)。

Charles&Theresa

ダイニングテーブル

私の部屋

いつもながら少ない洋服と荷物

3 フィジーの英語学校

学校は朝8時半スタート、家からは歩いて15分程度ですが、今のところ、Charlesが出勤途中に学校の前に降ろしてくれるので、大助かりです。

私のカリキュラムは1時間目が自習なので、コーヒーを飲みながらゆったりと過ごせます。2時間目はOne of oneと言ってTeacherと一対一でSpeakingです。これを毎日続けたら、会話力が付くのではないかとおおいに期待しています。その後、4時間はGrammarを学びます。他の学生はこれで終わりですが、私はボランティアコースを選択しているので、火・木は更に2時間学びます。こんな感じで、朝から夕方まで、暑い中、勉強に励んでいるのです。

4 初めての休日

22日(土)は、暑いから外出したくはないのですが、ファミリーが心配するし、勉強だけでもねぇ・・・と思いダウンタウンにあるナンディタウンに出かけることにしました。しかし、地図もバスの路線図や時刻表も無い、Google mapもフィジーについては網羅していないのですよ。文明の利器に額まで浸かっている私としては不安で仕方がありません。学校の近くにバスが止まっていたのを思い出し、そこまで行ってみることにしました。そして「ナンディタウンに行きたいが、バス停はどこか?」と聞くと、とても親切に教えてくれました。暫くして、おんぼろなバスが来たので(おんぼろでないバスもありますが)行き先を運転手に告げ、バスカードをかざしてレシートを受け取ります。このバスにはクーラーが無く、自然通風です。ナンディタウンまでの途中、幾人もの乗客が乗って来ますが、時にはバスカードを持っていない人が、現金を運転手に渡すのです。これって運転手のポケットマネーになるの・・・?と疑ってしまいます。だって出発時はバスカードが無ければ、乗せてもらえないのです。チャージ不足の子どもがうなだれて降りて行ったり、見知らぬ学生に自分のバスカードを貸す親切なおばさまが居たりしていたのですから。そうこうしている間にナンディタウンに到着。早速、フィジアンの男性が、日本語で話しかけてきます。しきりに観光ツアーを勧めるので、「私はナンディの地図が欲しいのだが、貴方は持っていますか?」と言うと「事務所に行ったらある」と誘われました。こういう人に付いて行ってはいけないとネット情報に書いてあったなぁ~と思いつつ付いて行くと、喫茶店と旅行社を経営しているやり手のおばさまのところに連れて行かれ「このツアーはどうか?あのツアーはどうか」と勧められます。結局、地図は無いのです。「友達と相談の上、来週来るから」と言い逃れして、帰ろうとすると、彼が「僕にチップは?」と請求してきます。「契約が成立していないのに、チップを払うはずがない!」と怒ったら、途端にしょんぼりしたので、丁度、喉が渇いていたし、オレンジジュースを注文し、彼にはアイスコーヒーを奢ってあげました。その後も、自分の仲間の店に連れて行こうとするので「貴方は、別の客を見つけなさい」と別れ、市場に向かおうとしたら、彼が道路の向こうで「そっちじゃない、市場はこっちだよ」と大声で叫んでいます。そして、市場まで連れて行ってくれました。やっぱり根は良いフィジアンです。

 

市場に並ぶ、きゅうり、トウモロコシ、オクラ、なすび

市場の様子、しょうが一皿55円

市場で、知的な顔をしたフィジアン夫婦からマンゴーとトマトを買いました。タクシー乗り場を訪ねると、同行してくれて、メーター付きのタクシーを探して乗せてくれました。メーター付きでないと運賃を誤魔化されるからです。

行きのバスはF$1.8(100円)でしたが、タクシー代はF$13.30(732円)でした。暑い中をテクテク歩くことを考えると安いものです。家に到着し、20$札を渡したら、0.70$戻してきました。「足りないよー」と言うと慌てたふりをして、1.7$戻してきました。「まだ5$足りない」と言うと、仕方がないなーという感じで5$札を戻してくれました。油断も隙もありません。しかし、芯から悪人になれないのがフィジアンのようです。  1.7$はチップとしてあげました。と言うことで、今回は、フィジー生活5日間の体験をお知らせしました。次回もフィジーの徒然をお届けしますので、お楽しみに。(田中延子)